2011年5月20日金曜日

『120センチの視線から』中村勝雄


第1回 「思えば遠くへ来たもんだ」 

二十歳のとき、「作家になろう」と思った。
正確には、シナリオライターになろうと。1980年代の、いわゆる「トレンディードラマ」のはしりの頃、ドラマの中で繰り広げられるストーリーは洗練されていて、ぜったいに自分には起こり得ないモノだった。だから強烈に、あこがれた。

それでも現実を分かっていなかったわけではない。重度の障害を持つぼくの将来は、障害の重さからして、少しの間は親達に介護されて生き永らえ、いずれ親も一人になり、自分も山奥の施設で早い余生を送る。そんなシナリオを養護学校の時は描いていた。描いていたというよりは、そうでしかない、とただ漠然と考えていたという方が正しいかもしれない。だから初めは、「作家」という職業に憧れながら、そんなすごい人間に自分はなれるはずがない、そう思っていた。

しかしその日から、23年が経ってしまった現在、押しも押されぬ、ではなく「押されたら倒れそう」な、いや車イスだから押してもらう「作家」にはなってしまった。だからまさに、人生は計算ができない代物だ。
かなタイプライターで書いた原稿から始まって、25歳のころからはワープロになり、現在はワープロが生産中止になったため、ぜったいに使わないつもりでいたパソコンなる「怪物」と日々むきあっている。編集者から、「中村さん、パソコンになったのなら原稿「てんぷ」にしてください。」と言われて、ぼくは本気で天ぷらのようにカラッとした、おいしい原稿を書け、そう遠回しに指摘されているのかと思っていた。(これはウソではない。)
 振り返って見ればぼくの人生、気が付いたらそうなっていた。思えば遠くへ来たもんだ、と実感する。ただ、がむしゃらにやってきた。いままで応募した原稿がどんなに落選続きでも、心の真ん中だけは落ち込ませないようにした。ほんの0.007%ぐらいは、もしかしたら「ひょうたんからこま」という可能性もあるかも知れない。そんな可能性にかけたのも、いま思えば本当に世間知らずの障害者だった気がする。
しかしきびしい現実も、ずっと永遠に続くはずがない。うまくいかないことの向こうには必ず、朝日のような成功が待っている。そう信じていた。これからの未来も、どんな勝利を手にするかは、すべて自分がどうなりたいのか、それを望む力強さがあればいい。


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