2011年5月11日水曜日

中村勝雄の苦悩

かっちゃんは、もがき苦しんでいた
私に言わせれば、その当時のかっちゃんでさえ、奇跡であった。
沢山のひとびとに、希望と、勇気をあたえていた。
でも、かっちゃんは、周りの人が思うより、高みを目指し、私にとっての奇跡を起こす準備をしていた。

~パラダイスウォーカーより
半年ほど前だった。あと二年たらずで四十歳になることをおもうと、焦りとは違うが不安定な気持ちになった。かなり重度の障害者に生まれたものの、いい時代になっていく過程だったのか、そんなに目立った苦労もすることなく、さほどの描写すらせず、気がつくとそんな歳になっていた。昔の偉い人の言葉を借りれば「惑わず」だというが、ぼくの心には、それでもまだ薄く蒙古斑が残っている感じだった。
自分の幼さが気になった。
二十代の前半からシナリオライターを目指して悪戦苦闘もしていたが、まったくプロになる見込みもなく、原稿を書くペースは落ちるばかりだった。いや書けなくなっていた。
若いころの、無我夢中な創作意欲は失せ、きびしい世界であることを言い訳にして、うまくいかない現実を障害のせいにさえしていた。自分は重度の障害者だから仕方ないと。
ーお前、どうしたんだよ。
心の片すみから、自分にむかって苛立ちが飛んで来た。
前へ。それが自分だったはずだ。そんなお前は、どこへ行ったんだ。
敬愛する桂冠詩人・山本伸一氏の詩、
「人生は
   果てしない
   旅の始まりであり
   終局のない
   不可思議なたびを
   せねばならない」
不可思議な旅。その一行に驚きあんしんした。こんな自分だけが障害者だからといって例外なのではなく、ぼくも多くの旅人の一人に過ぎなかったのだ。


この時の苦悩が有ったから
物書きとしての、勲章を手に入れて、新しい舞台を切り開けたのだよね。

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