の、Twitterアイコンを新しくしてみた・・・
二次元の世界で新しい人格と生活を持たせて・・・
その名も『シバイオリン』
彼は「ウサギター」と言うキャラクターのファミリーとして、この先独り立ちしていく・・・はず!?・・・たぶん・・・作家さん次第の運命・・・(笑)
ただいま、このウサギターのキャラクターをウエブサイトで募集中です。
興味の有る方は是非参加して下さい+:。ヾ(o・ω・)ノ゜.+
■猪瀬直樹(作家) |
「パラダイスウォーカー」は、重度脳性マヒをわずらう中村氏のハワイ旅行と、 初恋に破れた話など半生が描かれている。 読後感が爽やかだった。 |
■野田正彰(評論家) |
パラダイスウォーカーの可能性に期待 選考を重ねるにつれ、国際政治から細かい日常生活の襞まで、スポーツや冒険から神秘体験に到るまで、 多彩なテーマに挑戦する候補作品が並ぶようになった。 今年度も「小学館ノンフィクション大賞」の候補作らしい、多彩な五作品を受け取った。 五作品の内、私が比較的高く評価したのは、 中村勝雄さんの『パラダイスウォーカー』である。この本は、近年の障害をテーマとした本の流れのひとつとみなされてしまうかもしれないが、重度の脳性マヒをもった著者の外出中の排泄との闘い、非協力的な駅員への攻撃心などが書き込まれ、単に積極的な生き方だけを強調した著作ではない。さらに深く怒りや悲しみの過程を分析し、車イスでの旅人の内面を描ききっていれば、と残念に思う。書き直しを期待して、私は優秀作に推した。 |
■櫻井よしこ(ジャーナリスト) |
中村氏の「パラダイスウォーカー」は、重度の脳性マヒを患う作者が自らの日常を綴ったもので、前向きで明るい物語に仕上がっている。だが逆に言えば、生々しさがあまり伝わってこない。望むほうが酷なのかもしれないが、もっと自らの内面をさらけ出す事が出来れば、伝わるものは違ったであろう。 |
■深沢祐介(作家) |
「パラダイスウォーカー」は明るく、やはり障害者ならではの現実感があり、排泄にまつわる苦労など真に迫る。たぶん『五体不満足』の二番煎じと評されることもあろう。が、彼が正面から問題に立ち向かえば、新しい境地が開けるであろう。 |
■新聞の書評から |
重度の障害のための食事も着替えも自由にならない著者が挑戦した、海外への一人旅。 「人生には前進する力だけがある」(サン=テグジュペリ)との気概に燃えるパラダイスウォーカー(楽園を往く者)の素晴らしき出会いが綴られている。 (小学館、1500円+税) |
特別寄稿 随筆「N君頑張れ」 映画監督 木下 恵介 | |||
N君から最初の手紙をもらったのは四年前、1981年の3月でした。開いてみて不思議な手紙だなと思いました。仮名タイプの手紙を見るのは初めてだったからです。便箋に4枚、仮名文字がぎっしりです。そして読みはじめて二度びっくりです。 「僕は俳優をこころざすはたちの脳性麻痺のものです」という言葉からはじまっているからです。脳性麻痺の青年が俳優になりたい。そんな奇想天外なことを思いつく人がいるでしょうか。封筒の中には車椅子に掛けた写真も入っていました。 N君は長崎の生まれで、生後10ケ月頃、両親がが普通の赤ン紡とは違うことに気づ゜き、「いろんな病院につれていったようです。病名がなかなかわからず、随分親たちに金銭的苦労をさせてしまったようです」と書いています。重度の脳性麻痺だったのです。それから後、名古屋、横須賀と両親は職場を変えなければならなかった.訓練施設や学校のためです。 20歳になり、私に手紙をくれたのは神奈川県の平塚養護学校寄宿舎からで、年齢約に半月には寄宿舎を出なければならない時でした。彼はこの養護学校に入る前の1年間、厚木市の山奥にある県立リハビリティションセンター更生ホームにいました。そしてこう書いています。 「それまでの僕は、自分ほ哀れんだり、呪ったりしていました。そんな僕がセンターで得たことは数限りありません。でもそれをほんの短い単語で表現するとしたら『自分だけが障害者じゃあない』という言葉しかありません」 彼は苦しみ自分と戦い、ひたむきに前進しようと生きてきたようです。意志も強いが頭も冴えているようです。その彼が俳優を志望するという突っ拍子もない希望を持ったことについて、次のように言っでいます。 「俳優になると決意したのは一年半ほど前のことでした。(中略〕自分のような役者がいてもよいのではないだろうか。障害者の役は障害のあるものが演じたほうが、よりいいものになるのではないか」 彼はある日、タレント募集の広告にひかれ、横須賀から五反田まで出掛けたそうです。そして断念しました。 その後だったと思います。突然、東京・麻布の私の家まで訪ねて来ました。勿論車椅子で。平塚の時の女の先生がつきそっていました.そして彼は、シナリオ作家になりたい、と言ったのです。それ以来彼が送ってきたシナリオは5、6篇あります。なかなかしっかりした書き方で感心しまレた。 しかし私は彼に言ったのです。「一番困難な道を選んだね」と。 去年の暮れ、彼はワープロを買いこんで頑張っています。そして最近送ってきたシナリオは、「戦争に結わりはない」という反戦ものです。脳性麻痺の彼が、平和のために叫ぼうとしている。そのことは貴重です。 日本の国民は、「ありがとう」と彼に感謝しなけれぼならないはずです。そして彼が、何故俳優を志望し、それが駄目ならシナリオライターを日指したか。何通目かの手紙で、彼はこう言っています。 「僕は、税金を納める人聞になりたいんだ」と。自己保全と欲得第一の日本の政治屋に聞かせてやりたい一言です。 1985年 |